top of page
  • 執筆者の写真Mayako Nishi

選択が自分を作る





友人と一緒に食事に行くと、メニューの中でどれにしようかとても長いこと迷う人がいる

かたやほとんどメニューを見ないですぐに決める人がいる


この二人の迷うことに使う時間は、一生のうちでどのくらい差があるのだろうかと勝手に考えてしまう


マーケティングによく使われるジャム理論というものがある


選択肢の数が消費者にどう影響を与えるかについての実験だ

24種類のジャムと6種類のジャムをそれぞれ違う場所に陳列する

6種類のジャムを陳列した場所の方が、24種類のジャムを陳列した場所より、購入者が増えたという実験だ


選択肢が多すぎると人間は選択することを放棄してしまうという風に結論付けられている


分かる気もする

しかし私はジャムであれば、たくさん種類があるほうがいい

その中から選ぶ楽しみがある


しかしこれがパソコンやスマホなどのガジェットだったら、選択肢は3つぐらいでいい

むしろ2つでもいい

いや、1つでもいい


だからそれってものにもよるんでは?というのが私の考え


私は直感に従って何でもすぐ決めるほうだ

とくに自分の興味のないこと、優先順位が低いことに関してはほとんど迷わず目も前のものを選ぶ

ほとんど選んでいないと言える


しかし人生という長い道筋に訪れる様々な分かれ道を選ぶときには、いつも猛烈に迷う


右か左か

どちらの道に行けばいいのか


頭で考えると、確実に右の道の方が良いと思われる

しかし本当は左に行きたいと思っている


ひとつ思い出すことがある

高校3年生の時、進路を決めるタイミング

普通科の高校で美術部に入っていた私は、美大に行きたいなぁと漠然と思っていた


しかし

美大にいって将来どうする?

絵で食べていけるわけないでしょ?

ちゃんと経済的に自立できる無難な道を選ぶべき

と頭の声はささやいていた


そして私は美大にいくことを勝手にあきらめて

英語や国際文化を学べる大学に行った

海外に興味もあったし、英語も勉強したかったから、それはそれで良いと思っていた

絵は趣味でいくらでもできるからと自分を納得させていた


心の声を無視して、頭でした選択が後に自分を悩ませる

あの時ああしておけば

こんなはずじゃなかった

別の人生があったかも


あの選択があったから今がある

あの道でよかったのだと今の自分は自信をもって言える

しかし起こる出来事を人のせいにして、毎日不満を抱えている頃の自分は、到底そんな風には思えなかった


今の自分は今まで自分が決めたことの結果なのだ

もちろんコントロールできないものは多々ある

しかし起こる出来事に対してどう受けとるのか、それを受けてどんな風に選択して、対処するのかは自由だ


今このときも自分は選び続けている

その選択が自分を作っていく

閲覧数:159回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page